ヨシミの「本山慈恩寺」ガイド

山形県寒河江市慈恩寺で「本山慈恩寺」のボランティアガイドをしています。ガイドの目から見たおよそ千三百年の歴史を持つ古刹「本山慈恩寺」の見どころや四季折々の移り変わりなどを紹介します。古刹・寺院めぐりや山形県の旅には「本山慈恩寺」にどうぞ。

2015年09月

旧暦八月十五日は中秋の名月。今年の中秋の名月はスーパームーンと呼ばれました。月は地球から38万5千キロメートル離れていますが、今年は地球におよそ5万キロメートルも近づくため例年より一回り多くきく見えるようになるとのこと。本山慈恩寺の境内をいつもより明るく照らしていました。
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前回は蟇股の始まりについて紹介しましたが、今回は
蟇股の言葉の由来について紹介します。

蟇股(かえるまた)の「蟇」は、ヒキガエルのことで別名ガマガエルと呼ばれる日本固有の大型の蛙をさしています。 ヒキガエルは手足が比較的短く歩みはゆっくりで多くの蛙のように飛び跳ねることが出来ないという特性を持っています。
両足が太くてたくましく足腰の力強さを感じさせるところからヒキガエル(ガマガエル)の「
蟇」の文字を用いて蟇蛙(かえるまた)と名付けられてものと考えられます。
ヒキガエルは体表のイボから皮膚炎や吐き気・幻覚作用などを引き起こす毒性の分泌物を出すといわれています。
大声で熱っぽくユーモアのある口上で知られる伝統の大道芸の「ガマの油売り」ではガマの毒が切り傷や火傷に効用があるといわれますが、実際にはヒキガエルの毒を元にして軟膏を作ったものではなく馬油などが使われていたようです。馬油は馬の皮下脂肪を原料とした動物油のことで浸透性や保湿性などの効用があることから人間の皮膚に良いとされているので、大道芸の口上は大げさなもののあながち間違いではないように思われます。
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本山慈恩寺の彼岸花が満開になりました。多くのアマチャア写真家が訪れ彼岸花を背景に秋の本山慈恩寺を写真におさめています。
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今回は、本山慈恩寺の建造物に装飾された蟇股(かえるまた)の様々な彫刻を紹介します。

蟇股は屋根などの建物の上部の重みを支える日本独自の寺社建築様式ですが、のちに装飾性が増して様々な彫刻がなされるようになったといわれています。
和様建築物では梁(はり)と桁(けた)に空間ができるので束(つか)を置いて上部の屋根を支えていましたが、単なる束では面白みがないので板状の受け木を置くようになり、時代とともに変遷して蟇股になったといわれています。
蟇股は奈良時代以降の建築に見られますが、その時代は厚板の内部をくりぬかない板蟇股で、厚板の内部をくりぬいた本板蟇股は平安時代末期以降に見られるようになり、その後次第に装飾が加わり桃山時代以降の建築では彫刻の装飾性が一層重視されて来たといわれています。
蟇股の内側には十二支の動物や花鳥や家紋などの様々な彫刻が見られます。日光東照宮社殿の「眠り猫」は特に有名です。
また、
蟇股の装飾は左右対称であったり非対称であったり、平安・鎌倉・桃山・江戸時代など時代によってそれぞれに特徴が見られます。
本山慈恩寺の建築物にも様々な
蟇股の造りや彫刻が見られます。
蟇股一つをとっても寺社建築物を見る楽しみの一つになると思われます。
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秋の彼岸が近づきました。駐車場から坂道を下って本堂境内に来る途中の三か院の一つ華蔵院の道路沿いの土手に赤い可憐な彼岸花が咲き始めました。彼岸花IMG_7787

今回は、本堂の蟇股(かえるまた)と狛犬(こまいぬ)について紹介します。

本堂の正面に階段があり一間ほど屋根がせり出しています。参拝者が礼拝するところで向拝(こうはい)といいます。また、御拝と書いて「ごはい」と呼ぶ場合もあります。
 向拝の屋根を支える二本の柱の上方「梁(はり)」の部分に門構えのような左右対称の形をした厚板をくりぬいたものを見ることができます。カエルが足を開いたような形に似ているところから蟇股(かえるまた)と呼ばれます。
本来、
蟇股の役目は寺社建築様式で用いられ上方の荷重を支えるものですが装飾としても重視されており厚板の内部をくりぬいたものを本蟇股、くりぬかれていないものを板蟇股といいます。
本堂の
蟇股は厚板の内部がくりぬかれた本蟇股といわれるもので、ほっそりとして古風な印象を受ける装飾用の色合いが強いものになっています。
その本蟇股の中に想像上の守護獣といわれる狛犬の彫り物があります。今は左側にだけありますが、右の方にもあったものと思われます。
火災によって焼失した本堂が元和四年(西暦1618年)に再建されましたが、現在の蟇股と狛犬は焼失した旧本堂の向拝にあったものと伝わっています。右側の狛犬は焼失の難を逃れる際に失われたものと考えられます。
狛犬は高麗犬と書くこともあります。仏教が朝鮮半島を経て伝わって来たとき異様な形をした生き物を犬と勘違いして
高麗犬と書くようになったとの説があるようです。
狛犬IMG_7796
本堂正面IMG_7797
本堂側面IMG_7798


 

本堂わきにウメモドキが植えられております。そのウメモドキが真っ赤な実をつけました。周りの情景と相まって秋らしい風情が感じられるようになりました。
ウメモドキIMG_7777ウメモドキIMG_7766
今回は、本堂正面の装飾品「法輪」を紹介します。

本堂正面の扉にひときわ目立つ金色に輝く円形の装飾品があります。法輪といわれるもので輪宝とも呼ばれます。
法輪の「法」は釈迦が説いた教えのことであり「輪」は車輪に例えたものといわれています。
釈迦の説いた教えが 一つのところに止まることなく車輪のように転回してあらゆる方向に広く人々に伝わることを表したものといわれています。
また、輪宝は法輪が転じて古代インドの理想上の国王「転輪王」の武器になぞらえたもので古代インドの投てきの武器の一つ。金属製の輪の周囲に刃が付けられており回転させるように投げて敵を倒すという武器で、日本の忍者が武器とした戦輪、飛輪、円月輪と似た円盤形手裏剣のようなものといわれています。
この武器の使い方になぞらえて釈迦の説法が心の迷いや邪見や邪心や煩悩を倒すことの例えに用いられるようになり法具として扱われるようになったといわれています。
本山慈恩寺の法輪(輪宝)は輪の周囲に刃を付けた八角輪宝の形をしており中心からの八本の金剛杵(こんごうしょ)は
八正道(はっせいどう)を表しています。
釈迦が最初の説法で説いた涅槃(ねはん)に至る修行の基本とされる八つの徳「正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定」が八正道とされています。
また、転法輪とは法輪を転がしていくという意味で釈迦の教え(仏教)が広く人々に伝わっていくことを表しています。法輪IMG_7781法輪IMG_7666
法輪IMG_7673

本山慈恩寺の境内で「宗次郎 土の響き」コンサートが開かれました。本堂前の特設ステージで宗次郎さんの奏でるオカリナの音色が本山一帯に広がり幻想的な光の中で六百人以上の聴衆に感動を与えてくれました。
宗次郎IMG_6633
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今回は、本山慈恩寺の二童子「矜迦羅童子(こんがらどうじ)と制叱迦童子(せいたかどうじ)」について紹介します。

お不動様として親しまれる不動明王は仏道に従おうとしない者をも仏の教えに導きあらゆる衆生(命あるもの)を救済するために激しい怒りの厳格な姿に変えた大日如来の化身といわれ子どもの姿をした使者(童子)を従えています。 
不動明王は矜迦羅童子(こんがらどうじ)と制叱迦童子(せいたかどうじ)の二童子を従えて三尊の形式をとることが多く八大童子や三十六童子と呼ばれる八尊や三十六尊の眷属や四十八使者と呼ばれる四十八尊の童子を従えていることもあります。これらの童子は不動明王の手足となって行動するといわれています。
 本山慈恩寺の不動堂に祀られている不動明王は二つの童子「矜迦羅童子と制叱迦童子」を従えた不動三尊像になっています。
不動明王の左(向かって右)に矜迦羅童子が穏やかな表情で合掌し不動明王を見上げている姿で立ち、不動明王の右(向かって左)に制叱迦童子が金剛杵(こんごうしょ)と金剛棒の武器を手に持つとされていますが本山慈恩寺の制叱迦童子はハスの花(紅蓮華「ぐれんげ」)を持っています。
また、不動堂の外の石段の左右にも二童子が祀られており右側の矜迦羅童子は穏やかな表情で一心に合掌している姿で、左側の制叱迦童子は腰の剣に両手を添えていたずら小僧のような表情で立っています。
不動明王に従うこれらの童子は教典では十五歳の童子とされているようです。 
不動三尊IMG_6610
二童子IMG_6627
二童子IMG_6626
 こんがら童子IMG_6618せいたか童子IMG_6619

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