間もなく桜桃(さくらんぼ)のシーズンが始まります。さくらんぼ狩りに人気があり多くの人が寒河江に訪れます。
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慈恩寺舞楽のルーツ、日本に舞楽が伝来したのはいつ頃だろうかと思い調べてみました。

舞楽が日本に伝来したのは今からおよそ千四百年前の欽明天皇(西暦539〜571年)から推古天皇(西暦592〜628年)にかけての飛鳥時代初期と考えられています。この時代は古代中国の「随」や朝鮮半島との交流が盛んになり始めた仏教や大陸の文化が入って来た時代でした。
大化の改新(西暦646年)前の西暦612年に百済の味摩之(みまし)という人が古代中国の「呉」の国の伎楽(ぎがく)を伝えたという記録があるようです。
伎楽は楽器の奏でる音色に合わせて舞う仮面劇の一種で古代ペルシャ・オリエント文明を起源としておりシルクロードを経由して古代の中国に伝わったといわれています。また、インドやベトナムを経由して林邑楽(りんゆうがく)などの楽舞も伝わっていました。
古代中国では伎楽や楽舞は儒教と結びついて宗教的な礼楽や宮廷の儀式、貴族の宴の宴饗(えんきょう)など王朝の伎芸として盛んだったようです。
飛鳥時代に日本に伝えられた伎楽や楽舞は聖徳太子の庇護の下で朝廷の儀式や宴饗、寺社の祭礼などに広く用いられ奈良時代に盛んになりました。
平安時代になると大陸から伝わった伎楽や楽舞は衰えを見せ、日本古来の技芸と結びついて雅楽や舞楽として発展し宮廷や寺社の儀礼や法会などの各種の行事に用いられ朝廷に仕える貴族や楽人たちの間でも互いに舞を披露して楽しんだと伝えられています。
日本に伝わった舞楽は朝鮮半島を経て伝わったルートと遣唐使などによって古代中国から伝わったルートがあるようです。朝鮮半島の系統の舞を右舞(うまい)、中国系統の舞を左舞(さまい)と呼ばれ、林邑(りんゆう・現在のベトナム中部)から伝わった林邑楽は左舞に属されています。
平成29年2月に平成天皇がベトナムを訪問された時に「歴史をたどると8世紀には、当時我が国の都であった奈良で大仏開眼の儀式が行われましたが、その際、現在のベトナムの中部にあった林邑(りんゆう)の僧侶・仏哲(ぶってつ)により舞が奉納されたと伝えられています。その時の林邑の音楽は、我が国の雅楽の楽曲として現在でも演奏されています。」と挨拶されています。
シルクロードの中継地「サマルカンド」にある壁図
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シルクロードの中継地『サマルカンド」の旧市街
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サマルカンドの城壁前の土産街と現地の人たち
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サマルカンドの市場
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 (ヨシミが現地ウズベキスタン「サマルカンド」で撮影)